「…俺が、戦に求めるのはそういうことなのかもしれんな」 心配だから 怖いから 大切なものが傷つくのを避ける為に全てを壊すだけで 「…もっと、求めなければいけないのかも…、しれん」 「尊氏さま…」戦は本来全てを勝ち取る為のものだ。だからこそ勝者には勝者なりの責が存在する。だが尊氏は求めず得たそれを自らのものと見れない。絡めとられる感情に身を委ねてしまうのが尊氏の弱さなのだ そして直義の。 そう、直義の全てが尊氏を支配するのだとすれば。 それこそ戦に勝ちさえすればいい。側にあればいいというのなら、それを叶えてやればいいのだろう。 空に浮かぶ瑞兆が勝利を導くのだとしても、それは尊氏自身の救い足り得るのだろうか。尊氏が望むのは瑞兆ではなくきっと、彼の弟がその瑞兆に意味を与えることなのだから 「……悪かったな、師直。もう寝ろ」 「、あ…」 「……命だ」 「はい…」拒絶するように抱えられた膝に、自らで踏み入る術を持たない。 静かに立ち上がり室を出ても最後まで尊氏は何も言わなかった。 唐突に視線を感じ思わず息を呑む。 「っ、重能ど」 「しっ!…、聞こえるだろ」 慌てて口を噤めば呆れたように肩を竦められる。どこから聞いていたのだろうか。大体隣室にいたことを失念していた自分も大概愚かしい。伺えば、どこかつよいその目がひたりと見据えてきた。 「…聞いて?」 「…勝ちゃあいい。そうすれば悩むことも無い」 「…そうですか?」 「どうせ直義様にしか意味がねえなら、俺らがうじうじ悩んでも時間の無駄だろ」 どこか力が抜けて思わず眉根を落とす。それを見た重能は一つ息を吐いて首を振った。 「仕方ない。尊氏様はそれでも大将なんだから、手前で望みを叶えてやりたいならやっぱり勝つしかないんだろ。その後は尊氏様自身で何とでもするんだから、って…ああ、巧く言えねぇが、まぁそんなもんだ」 「…あ…はぁ、」 些か唖然と見つめ返せば、重能は一言二言継いでさっさと踵を返し室に戻っていってしまった。またも一人残され立ち尽す。 重能が言わんとしたことを完璧に知ることは出来なかったけども、勝利の意味を定める権利は確かに尊氏にしか無いのだろう。 尊氏の憂いを晴らすことなど出来ないのなら自分に出来るのはただ尊氏に選択を示すことだけだ月の光自体はあくまで等しく照らす。だから等しく見上げているだろう直義に、委ねてしまえばいいのかもしれない 深々と息を吐いてゆっくりと室へ向かった。 「、重能!」 「只今戻りました」馬から降りた重能の側まで尊氏は駆け寄る。丁寧に一礼すると重能は文を捧げた。 十七日、児島に留まっていた本陣に直義から使者が来た。赤松と三石の城を落とそうというらしい。尊氏は早速返書をしたためて、そして重能を使者にたてた。直義のいる陣は備中の河原とこの児島の間三里。遠くもない距離、誰をたてても差し支えはなかっただろうが、重能をそれに当てたのはそれなりの配慮だったのだろう。 「勝ったか」 「はい、脇屋も追い落しまして。幸いこちらの被害も殆どありませぬ」 文を紐解いて尊氏は食い入るように見やる。 「…直義は」 「お元気で、尊氏様からの文とても喜んでいらっしゃいました」 「…そうか」はっきりと華やいだ声で尊氏は笑う。穏やかにそれを見る重能は、どこか達観したように頷きかえした。 結局はそうなのかもしれない。自分には出来ないことだってそのひとひらの文は容易く成し遂げる。もう、ほんの後少しで全て終わる。指先にかかった勝利を捉えるのは難しいことではないだろう。勝ちさえすれば尊氏は枠、を手に入れる。選択の幅としての勝利ならば尊氏の望みを叶えることができよう。そして尊氏の弱さが変わることなきその質なのだとすれば、それでいいのかもしれない。 重能を待って出される用意をしていた船が帆を張る。 重能に色々と尋ねながらそれに乗り込む尊氏を、そっと見やった。 「……こうか?」 「そうすね…、多分それでいいと」 「……」 海を渡る風は相変わらず爽やかに吹く。雨季に近い湿った空気は些か重たくあるけれど、風切る帆を止めることもない。相変わらず、甲板に据えられた机床には書簡が散らばっている。 …しかし最早その前に座るのは自分一人だけだ。 「……あの」 「もう一本くらいあげるか。火を貸してくれ」 「は、じゃあこちらに据えましょう」 「ああ、師直。其処をどけてくれ」 「……は」 最早軍議など存在すら無い。諦めて書簡をざっとかき集め、そのまま近くの台座へ、ぽいと放り出した。 児島を出ると、聳え立つ山に船から軍を見ることがかなわなくなった。 あからさまに沈んだ尊氏に、またも笑顔で火を手渡したのは重能だ。喜び勇んで狼煙などをあげれば、向こうの状況も推して知るべし、速攻で返事があった。 それから日夜…、寧ろ一刻ごとに。兎に角手当たり次第に上げまくり、最早甲板は狼煙の台座以外の役割を見いだし辛い。 「、返事か!」 「良かったですね」 「……」 文ひとひら、その返事だっていい。 尊氏が強くあれるのはまさしくその弱み故なのだから。 …―だから多少の事など気にはすまい。京に早く、着ければいいのだ。 薪を組み立てながら、それでも深々と溜息が漏れるのを止められそうに無かった。 next |