たなびく赤砂に新たな赤が混じり、巻き上げる潮には鮮やかな飛沫が織りなした。

折からの風、下地に陣取る菊池を攻め立てるのは先陣の直義である。 敵はおよそ三万、最早千がらみの足利ではその数比するのも愚かしい。 だが後続の菊池は動きが鈍い。朝方先だってぶつかり合った際に、少勢だと侮って削られた被害の 大きさに萎縮でもした体である。尊氏の中陣の後ろに差し立ててある旗印も些かの効果があったようだ。 急拵えの偽陣だが、元々この少勢こそが信じがたい暴挙であるのだから、その名ゆえの後詰めの存在を 信じさせるには十分であった。

敵はその多勢故に全体を統治しきれぬ。前線を押し切れば勝利は見える。 そして此度の戦では待つべきものがあった。

このまま直義が押し切ればきっとそう遠からずに。

「…来ますか、」
「来る。頼尚を信じるしかあるまい」

黒毛のその馬の上で尊氏はただ遠くを見据えるように言葉を吐く。 その顔にもまるで紅を差したかのような朱が線引く。返り血で為された戦化粧には壮絶な色が透ける。 足利は少勢、それが例え中軍だとしても遊ばせておける兵など一兵たりとも無いのだ。

「これは…」

高台に陣取る中軍に見えるは絹を裂くように突き進む苛烈な軍。散らすようなその進みに遅滞などはかけらも 無い。杉葉のその伸びた線が日に輝く。これなら、このままなら待つまでもないかもしれない。

「勝てます」
「…、」

上げかけた声をかき消すように、急な喚声が上がる。爆ぜるように広がったそれは強く背を叩いた。

「っ!」

割り込むように川辺を突き進む二軍。杉葉の位置に挿される笹は確かな証だ

「挟撃です!頭殿が…」
「な、」

直義の軍は僅か三百弱。数に押し切られれば立つ術を知らぬ。

「…やってくれる」

絞りだすような声で尊氏は手綱をひく。 直ぐにでも加勢にいかねば先陣は壊滅する。しかし今この状況での全軍投入は全滅を意味する。 陣無き乱戦に賭し、勝つ、否生き残ることが出来るだろうか。

「少弐と大友…宇都宮を回せ」
「…はっ」

握り締めた手綱には迷いがある。 かかる刃を斬り伏せながら、尊氏は幾度も先陣に視線を飛ばした。
来るか、来ないのか。
波は高く、風は強い。矢の使えぬ激戦は文字通り血を血で洗う体である。 しかしやはり先程までの勢いに比べ明らかに先陣は押されている。

「…、」

噛み締められる唇には血の気が無い。 縛られる重荷を擲つことが何を意味するかなど十分すぎるほど知っているだろう。 しかしこの主がそれを願うのは寧ろ当然なのだ。例えその結末が討ち死にだとしてでも。 それでは駄目なのだ。なんとしても生き延びてもらわねば。

「尊氏さま…」
「殿、殿!奏上申し上げたく!」

不意に馬を乗り付けてきた姿がある。一瞬背を凍らせるが、挿されるのは杉の葉。 だが名乗りも上げぬ顔は本陣に見慣れぬ姿だ。尊氏を背に庇い馬を進める。

「何用だ、私が聞こう」
「…失礼致しました、某は次郎と申しまする、ご無礼は重々承知ながらも、頭殿の危急のお言付けなれば、 奏上お許し頂きたく」
「直義、?」

馬首を下げて道を開ければずいと尊氏はその若者に迫り寄る。

「なんと、言った」

「……っ…殿におかれましては周防、長門までも落ち延びて再挙を図られますよう、 ここで御兄上の御命に代わることで、誓いをお果たしなさるとの仰せでございます…!」

「…な」
「…そしてこれを、と」

差し出されたそれは確かに直義の直垂の片袖である。手にあるそれを尊氏は何処か茫然と見つめた。 直義が覚悟したのだから、恐らく先陣の敗色は確たるものなのだ。最早一刻の猶予もならぬ。 だが、この場でそれを言うことが出来る訳も無い。

「……次郎と言ったか」
「は」
「直義は…確かにそう言ったのだな?」
「…は、?」
「…それで誓いを、果たすと」

一瞬走ったのは覚えのある空気、戦場にあって尚鋭いそれ。だがその目は静かに伏せられた。

「っ…殿?」

力の限りに握られた片袖にはくっきりと皺が寄る。ゆっくりと俯いた尊氏はそっとそれを額に押し当てる。 突っ伏すように顔を埋め、傾げられた首はどこか寒々しい。次郎が慌てたように視線を飛ばす。 幸い辺りに敵の姿は無い。だが戦場に措いてあまりに無防備なその姿は確かに何かを酷く掻き立てた。 落とされた薄い肩は頼りなく、投げ出されたような無防備さは明け透けなまでに弱さを露呈する。

「と…殿、」
「…尊氏さま」

俯いた頭から流れて肩に落ちかかる髪。
さやりとなぶられるそれが風に巻き上げられる軌跡の鮮やかさに目をとられ、視線を上げれば、 光の宿らない瞳とかち合った。


深淵を覗き込んだかのような寒気、あてられる炎の凍りつく熱が、ざわりと、背を撫でた。


「た…尊氏さま?」
「直義…」

呟いた名には温度が無い。漆黒に濡れた瞳はただ内の熱だけを弾く。


「…さない」


ぐいと襟口を開いて尊氏は握ったそれを懐に入れ込む。そのまま返す手で叩きつけるように刀を抜き放った。


「次郎、先導を許す。血路を開け、駆けるぞ」
「…はっ!」

「、尊氏さま!そんな…」
「黙れ師直」

抜き放たれた刀の光は鈍く、宿らない黒に響く。ひりついたように乾く喉奥に全ての言葉が封じられた。

「全軍をあてる。従わぬなら斬る」
「…っつ…」

伝う汗に怖じ気づけば、変わらず漆黒を宿した瞳のままで尊氏は馬首をかえす。

「全軍突撃!!駆けろ!」

声を張り上げ、馬の腹を強く蹴る。一歩先に進んだ次郎のあとを全速で駆け出した尊氏を慌てて追った。 尊氏に引きずられるようにして中軍はただ前へと突き進む。 激突した先にあったその軍はあからさまに狼狽えた。


ただひたすらに刀を振るう。最早手に当たる全てを斬り伏せて、馬を駆り、飛沫く血潮に身を浸した。 陣頭に立つのもただ朱に染まるその姿。どこか鬼気迫るその圧は全てを掻き立てた。 狂騒と呼べる、上げられた喚声は急な動きに二の足を踏む菊池勢を打ち据える。 先陣を攻め立てるその軍も後陣を顧みるように暫し動きを鈍らせた。

その瞬間
風が、吹いた。

駆け抜ける足利勢と異なる方角から上げられた喚声。 ぶち当たる足利を食い止めようともせずに、雪崩を打って流れた勢がある

「…来たか!」

次々と色々な方角から喚声があがり、俄かに戦場は沸き立つ。 ほんの数刻まえまでと全く逆に攻め立てられるのは間違いない優勢を誇った筈の菊池勢。 笹葉を抜き去り捨てた何軍もが、それを攻めているのだ


『此度の戦、お味方は敵中にありましょう』
頼尚の言葉そのままに。 最早内から崩れた菊池勢にその勢いを保つ術は無い。


「…った、勝ったぞ!!」

何処からともなく上がった声は忽ち弾けるように広がる。
死地と覚悟したそれだけに、広がる歓喜は激しかった。



「尊氏さま…尊氏さま!」

沸き立つ味方の中、見失った姿を探せば、先程の次郎という青年が静かに袖を引いた。

「…こちらに」



浜の外れ、人影すら疎らなそこに馬から降り一人ある後ろ姿。 視線の先にあるのは無事に切り抜けて進む先陣に間違いないのだろうが。

「尊氏さま!」

馬を飛び降りて駆け寄るが最後の一歩に踏みとどまる。 光の無いあの眼を思うと腕を差し出すことすら躊躇われた。 だが静かに振り向いた尊氏は常のように穏やかに笑み、ぐいとこびり付いた血糊を拭き取って見せた。

「師直、勝ったな。」
「…は…い。はい!」

深められた笑みに思わず膝を崩せば、仕方のない奴だというように眼を眇めた。
勝った、勝ったのだ。
何処か神懸かったようなこの勝利は、確かにこれからの途が開けたことを示した。 遅ばせて弾ける歓喜に身を浸して前を見る。 天頂より傾く日の逆光に照らし出された姿は酷く眩しい。

ただ後ろの青年が、痛ましそうに眼を細めたのには、気付かなかった。






その夜は箱崎の寺にて夜を越すこととなった。先陣の直義は既に太宰府に入ったという。 明日になればその宰府で再び軍を一つと為すことが出来るだろう。 祠官たちが大層騒ぎ立てて迎え、戦勝に浮かれ立つその場は酒瓶こそ無くともまるで宴会じみた騒ぎぶりである。

不意に堂に入ってきた祠官に、ぴたりと皆が口を閉ざす。

「…ご用意できまして御座います」

後をついて入ってきたのは純白の白衣に身を包んだ尊氏である。 奉幣の為のその姿はそれゆえとは言え、常に無く厳粛であった。

ざっと頭を下げた一同の前を通り抜けて祠官の先導のまま歩み、廻廊を抜け、開けたその井戸でまた静かに 立ち止まる。冬の澄む夜気に浮かび上がるような白い衣そのままで、頭から尊氏は水を被った。

跳ねる飛沫の白は昼間の戦場のものと確かに同じものだ。滴る水の糸を引きながら、綺麗に身を起こす。 そしてその廻廊の前で八幡宮を拝し、深々と礼をとった。 それに倣うようにその場の皆が深々と叩頭し、拝す。
勝利に相応しい、しめやかな儀式であった。

「…?」

不意に何か冷たい雫が伝い、首筋に手を伸ばす。 何気なく上げた視線はだが、かち合ったそれに凍りついた。

光の無いその瞳。
濡れた衣に滴る水もそのままに立ち尽くすその、浮き上がる白に。 表情を窺わせない瞳は酷く暗く落ち込んだ。

「っ…」

慌てて頭を下げ直し、額を手の甲に擦り付けるように押し付ける。 跳ねる拍動だけが見てはいけないものを焼き付けた。

がちゃりと金属の鳴る音がする。恐らく手筈通り四目結びの白いその剣を宝前に納めたのだろう。

「…確かに。……足利殿。此度の勝ち戦誠に目出たく存じ上げ、寺をあげてお祝い申し上げまする」
「かたじけない。此方こそ礼を申し上げる」

朗々とした声に一同は顔を上げる。

「戦勝を祝う。酒を許す、各々神々に礼をとり杯を傾けろ」

わあと上がる声に笑み返して尊氏は室に下がる。 濡れた衣を換えにいったのだろう。しかしそれを追える勇気が今は無かった。

「…師直様、」
「…次郎、?」

何処か閃くようにその肩を掴む

「…お主、昼間何か見たのではないか?」

勝ちに浮かれる軍から離れるように立っていた尊氏の元へ、誘ってくれたのはこの青年である。 恐らく駆け始めたその時からずっと側にいたのだろう。 思えば袖を引いたそこには某かの遠慮が無かったか。
だが躊躇うように次郎は一つ首を振るとただ小さく呟いた。

「…明日になれば、きっと大丈夫です。」

深まる宴に、だがその夜結局尊氏は室から戻っては来なかった。







日があけ、晴れ渡るその中を太宰府へと向かった。

元々遠くはないその距離である。 降参人を加えながらのその行程とはいえ、夕方までには全軍が太宰府へと入った。

「尊氏様、」
「重能」

迎えた姿は見慣れたその長身である。 浮かぶ表情は晴れ晴れとこの勝利を祝った。

「お疲れ様です。室で直義様がお待ちです」

軍を休ませるように指示を出してから尊氏は一つ頷く。 重能と共に館の奥へ歩を進める尊氏の後を、次郎と共についた。 そういえば次郎は直義からの命で使いとして来たのだから、この場への帰還は責務を果たした安堵なり喜びなり である筈である。それなのにどこか堅い表情は崩されることがなかった。

「直義様、お連れしました」

奥の障子の前で立ち止まり、重能は声をあげる。それに聞き慣れた声で返事があってから 静かに障子を開いた。

「兄上」

開かれた室にはただ直義と頼尚が居て迎える。 膝を付いた頼尚の横で笑んだ直義が立ち上がって此方に向かってきた。

「ご無事で何よりです」

尊氏は静かに歩を進め室の中央へと向かう。次郎と自分の入った後ろで重能が障子を閉めた。



――たん、とあがったその音を追うように

重い音が、響いた。



「…な、」

しんと静まった室に漏れたのは果たして自分の声だったのか。
凍りついたようにその場にいた全てが動かない。


入り口で立ち尽くす自分の側には次郎と重能がいる。奥で顔を上げたのは頼尚だ。 そして室の中央に立つのは尊氏と直義。

「た…直義様?!」

慌てたように重能が声をあげた、その先には直義が顔を俯けて立っていた。 伏せられた眼はだが解れた髪が流れて隠している。ただ痛々しいまでに赤く染まったその白い頬だけを 前に向けて、微動だにしない。 その前に立つ尊氏も振り抜いた手そのままに動かない。ただあの漆黒に濡れた瞳だけが鈍く光った。


「……直義、」

絞り出されるように出された声に、直義は静かに視線を戻す。 流すようなその切れ長の瞳はまた酷く静かでどこかひたりと尊氏を見据えた。

「…直義、何故あんな事を言った」
「…あんな事、と申しますと」
「っ…巫戯気るな!!」

掴み懸かるように尊氏は直義の肩を掴む。突き倒すようにしてそのまま二人畳に倒れた。

「た…尊氏さま」
「直義様っ!」

半ば馬乗りになって尊氏は直義の襟首を掴み上げる。

「お前っ…!!何故、死ぬなどと!おめおめ命を捨てるだと?!どの口でそんな事を言った!」

激するそのままに尊氏は叫ぶ。だが、直義は静かにそれを見つめると何処か冷たい声で言い放った。

「お分かりにならないのは兄上の方です。兄上は足利の大将、直義が言ったは道理です」
「何だと…!」
「それをお怒りになられるのはお門違いというものです!!」
「黙れ!!……お前言ったな、誓いを果たすと。擲たれたそれで俺が満足するとでも?」
「……はい。兄上がその命に換われるならば、直義は満足です」
「っ…!」

ばしりと重い音がして尊氏はまた直義の頬を張る。

「誰がそんなことをしろと言った…!」
「兄上とて!!…兄上とてお命擲たれたではありませんか!何故兄上は良くて直義はいけないのです?!」

切れた息を継いで尊氏と直義は睨み合う。

「…お前と俺では違う」
「違いなどありません!」
「黙れっ!お前俺が大将だと言っただろう!大将の首はいつの日か兵の全てと代わりに落ちる為にあるのだ!」
「なっ…!」

きっと睨み返す直義の眼に力が篭もる。

「兄上がそんなことを仰っては皆はどうしろというのです!それこそ兄上の為に命を賭けているのです! ……私だって、それは変わりません!」
「だからその命捨てると言うか」

「捨てるのではありません!その結果に兄上が、伴うならば構わないというだけです」
「それが勝手だというのだ!言っただろう!」

ぎりと噛み締めるように歯をくいしばり、尊氏は直義を睨み付ける。



「他の者にその命預けるな、と!」



またしんと静まり返った室にはただ息を継ぐ音だけが響く。 呆然としているのは自分だけではない。重能も次郎もがただ惚けた体で立ち尽くしていた。


「…さない」
「…、」

ぐいと襟首を持ち上げて尊氏は直義に顔を近づける。

「…許さないぞ直義」
「…兄上」

噛み付くように吐き捨てた語気の強さ。籠もるように響かないのは半ば埋めるように吐かれた言葉のせいだ。



「誰かにその命許して死んだりなどしてみろ、俺がお前を殺してやる!!」


「な…」

直義までもが呆然と尊氏を見つめる。

「お前が捨てたいと言っても聞いてなどやらぬ!勝手な真似など俺が許さん!」
「……そんな、勝手なのは兄上です!」
「黙れ!」

押し付けるように胸を叩く。

「…黙れ、黙れ黙れっ!」

「た直義様…!」
「…、」

流石に見かねて一歩踏み出す。 だが静かに差し出された腕がそれを止めた。

「よ…頼尚どの?」

いつの間にか前に立つ頼尚はだが小さく首を振って自分と重能を止める。 立ち尽くしたまま視線を戻せば、尊氏が直義の胸を叩く手つきは次第に弱々しくなっていった。

「…っ…お前、満足だと、言ったな」
「…兄、上?」
「この尊氏を…置いて一人死ぬことが満足か」

さらりと畳に流れる髪に直義は肘を付いて体を支えている。 その白い頬を、透明な雫が叩いた。

「た…尊氏さま…」

今度こそ立ち尽くした足は最早頼尚に止められずとも動かない。

「ゆる…さ…ないっ、」
「ぇ……あ、」
「直義…」

突っ伏すように尊氏は直義の胸元に顔を埋める。 小さく震える肩は、常に見るどれよりも頼りなげに細い。


「…すまない…」
「、っ?」

「謝るから。お前に…お前にそんなことを言わせる羽目になったのは俺の所為だろう?」
「あに…うえ」

「だから……だから」

直義に縋るようにしがみついた手はその横顔を覆い隠して震える。 為されるままに倒れていた直義はそっと腕を尊氏の背に伸ばした。 始めは恐々と、慣れぬように手を動かす。その内どこか尊氏自身が為すその様にゆっくりとその背を撫でた。


「…兄上……兄上は…怖かったの、ですか?」
「…っ…う」

肩を震わせしがみつく姿は酷く幼い。

「…兄上、兄上。わかりました」

ゆっくりと撫でていた直義も何時しかひしとその背に縋る。

「…兄上に…兄上に殺されるまで。絶対死んだりしませんから…兄上を残したりしませんから…」


頼尚が促すように腕を上げる。ぎこちなく頷いて、隣の重能に視線をやった。 何処か困ったように見ていた重能は、それに答えて小さく頭を掻く。ひとつ息を吐くと障子を開けて廊へ出た。 それに続いて室を出る。



「だから…お泣きにならないで下さい…」



最後に見えたのは鮮やかなそれ。

赤く腫れた白い頬に黒いその髪を垂らした壮絶な姿で、浮かべられたのはどこまでも綺麗な笑顔。

閉じられた障子の向こうに、さらりと流れる音がした。







「…お前も死ぬのか、と仰せになったのです」

縁側に出たそこで次郎がひとつ呟いた。 勝ちに浮かれる軍を。無事に逃れるその軍を見て。 お前も、と。

「…殿は失う怖さを知っておいでです。それはきっと殿の強みであり…同時に弱みなのでしょう」

静かに語られる頼尚の台詞は酷く重い。大宰府について迎えたのは既に燃え尽き灰塵に帰した館。 戦の前に妙恵の死を隠した頼尚の意図は分かりすぎる程わかった。 それを見て尊氏があのような行動に駆り立てられたのかは分からないが。

決まり悪げに重能は眉根を下げる。 お前も、と言った尊氏はつい先日憲房を亡くしたばかりだ。

「…ただ殿には直義様がいらっしゃる。」

すっかり赤に染まった夕空は酷く広々と広がる。

「だから…きっとそれで良いのでしょう」


澄み渡ったその赤は筑紫の地を覆い広がる。

その弱みを抱えたまま。尊氏はただ前へと進む。その歩みが強く在るために。



吹き抜ける風になぶられるものにただ眼を瞑った。





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