「申し訳ない、のですが、兄上に引き合わせる目処が、立ちません。」
目の前の男が、自分のために苦しんでいるのだという事実ばかりが圧倒的であった。叔父が傷悴しきっていることは、蒼白な顔色やその瞳からも隠しようが無い。
しかし表情にだけは出すまいと努めている様子が尚更痛々しく、私は眉を曇らせた。
それを、実父に会えない苦しみだと解釈しているらしい叔父は、遣る瀬無さに眩暈がするほどだろう。どうしてやればいいのか、もうわからないのかもしれない。
「だから、貴方は、二つのうちから一つを選ばなければいけません」
「・・・、二つ?」
「私の屋敷で『その機会』、が訪れるのを当ても無く待つか」
「・・・」
「玄恵様のところに、・・・つまり、寺に戻るかの、どちらか」
もどる、となぞってみて初めて、私は叔父が何を言っているのかを理解した。
拍子抜けしたかのような、それでも確かに自分の心の空っぽの部分を突くようなその響きは、静かに胸に落ちて、そして小刻みに震えだす。
「ごめんなさい。こんなことを強いるなんて」
俯いた叔父は一度だけ、少女のように顔を両の掌で覆い、そして力なく手を膝の上に置きなおした。
「もちろん、すぐに決めなさい、とは言いません。必要ならば、玄恵様もお呼びします。一人で決められないことも、あるでしょうから。・・・無責任なことを言っているとも、分かっているのです。本当に」
自分が何も言わなければ、まるで沈黙を怖がるかのように、叔父はずっと自責の言葉を繰り返すだろう。細かく動く度に、唇は色を失くしていく。どうしてこの青年はこんなに苦しげなのだろうか、と思う。
「分かりました。叔父上」
「え、」
「一晩自分で考えます。きっと玄恵様も『自分で決めなさい』とおっしゃるでしょうから」
「・・・そうか、・・・・あぁ、・・・そうだね」
空ろな表情で頷いた叔父上は、そのまま石のように黙り込んだ。気まずい沈黙の圧し掛かる中、しかし私はこの時を打ち切ろうとは思わなかった。
――――自分は今、本当は何も考えられないほどの衝撃を受けているから、まだ素直に飲み込めていないのだ。
だから目の前で凍り付いている心優しい叔父はきっと、自分の身代わりになって悲しんでいてくれているのだろう。
そう思い込むことは、悪くない考えのように思えた。
――――しかし、自分のために惨めな思いをしているこの人こそ、本当はおかしいのではないか。
悪戯っぽくそんなことが浮かんでしまい、そして一度考え始めると、酷く自嘲的な気分になっていく。私は、喉の奥に刺さっている魚の骨のように、ずっと吐き出したかった感情があることに気付いた。
「そんなに悲しまないでください」
「・・・え?」
「叔父上が私と父を会わせるために、色々と心を砕いてくださっていることはもちろん存じています。ですが、『父』と聞いたところで、私には本当に、ただの他人なのです。父にとっての『私』も、おそらく同じなのではないですか?」
「・・・・・・・・」
「叔父上にとってもそうでしょう。叔父上は、他人である私のために、どうして悲しんでくれるのですか?」
知らず知らず詰問するような声色になってしまっていたのかもしれない。最後に耳に残った自分の声は、酷く感情的で聞き苦しい。
しかし、ひるむと思った叔父はむしろ、妙にはっきりとした意思のようなものを宿していた。
「他人だから。君の中にまだ、『他人』がいるから」
叔父は私を刺すように見た。・・・私の後ろにある何かを、刺すように見た。彼と出会ってから二十日目にして、初めて強い感情を向けられた気がして、私は唾を飲み込んだ。
何を言っているのか、全く分からなかった。
「妙なことを言ってしまった。申し訳ありません。室で休んで・・・ゆっくり、考えてください」
細い眉が下がると、途端に心細げな印象に戻る。先ほどの激情が、妙に鮮やかな余韻を残す中、叔父の言葉に従って、私はおとなしく立ち上がった。
今自分はとても重大な選択を迫られているのに、その事実は何故だか遠く、空しい。
答えを出さなければならないのに、答を出すきっかけとなるものは、私の中に何一つ無かった。
今まで生きてきたどの時間も、私のこの先を決めてくれるものにはならない。
寺での生活も、出会ってきた人も、朧な母の記憶も。
「・・・・・・」
廊には誰もいなくて、そもそも、私を見て何かを思う人も、いない。
あの与えられた室に戻ってみても仕方が無い気がして、私はふらふらと近くの室の戸を開けた。
こうして弱った姿を見せることはできないし、結局は一人で決めなければならないことだとしても、せめて自分を気に掛けてくれているであろう叔父の傍にいたいのだと思う。本当に惨めなことだけれど。
戸を閉めて座っていると、あたりはこれ以上にないほど静かであり、私は蹲って頭を抱えた。
何か、私を決めてくれる何かが欲しい。
結局根無し草だと思い知るだけだとしても、私はありもしないものを思い出そうと必死になっている。
他人とはだれのことなのか
nextはそのうち
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