尊氏はくるくると指先を器用に回して、小さな拵えの飾りを弄っていた。

簪なぞにむかしの苦い思いいれがあることを、何時だったか漏らしていた言葉で知ってはいたが、 然うして女の華奢な躯を彷彿とさせる拵えを弄る様は酷く絵になる。 卓のうえに並べられたいくつかの装飾品は、尊氏の品なのだという。 高級な品々を尊氏は代わる代わる眺め眇めつして、先程から飽きずに指先で弄んでいた。

「お好きですな」

童が気に入りのを玩具を握りしめて放さぬが如くに、何時までも只管に弄くっているので適当に声をかけた。

「綺麗だろう」

だから、と続きかけた理由ともならぬ理由に小さく肩を竦める。節くれだった長い指が、飾り紐を自身に絡めて揺れている。 刀を握る貴人の手は、何か危うい均衡が保たれていて何となく口元に薄く笑みを含む。 手先が器用なのは少しばかり意外だったが、するすると遊ぶ指先を見れば得心はいった。

金襴の織物や、豪奢な意匠の施された黒漆に瑪瑙や犀角を飾り付けた革帯なんかを尊氏は極々普通に着こなした。 奢侈を好む気はさらさらないようだったが、絢爛で贅沢な品々はよく似合う。 自分とて普段から派手な装いで居るのが常だが、この男は戦場で泥に塗れ、簡素な衣を纏ってもそれなりに似合う。

しかし尊氏が斯うもそういうものが好きだとは思わなかった。豪放磊落、というか突き抜ける程の尊氏の物惜しみの無さは結構に有名だ。相反する事柄では無いが、何とにはなしに無関心故の質だと思ってはいた。

「尊氏どのが、その様に飾り立てていると何だか微妙な気分ですなあ」
「なんだそれは、お前に言われたくはないぞ婆娑羅ど、の」

呆れたように笑った尊氏は、また指先でちりちりと細い細工を嬲る。 無造作に置かれたままの茶器を手に取り、冷えた其れを啜る。 延々童じみた遊びをしている尊氏も何だが、それに付き合ってる自分も自分だ。 何をやってるのかとぼんやりと考えもしたが、詮無きことかと直ぐに無駄な思考は捨てた。

「むかし少しだけ老にな、教えを請ったことがある」

擦れ細い音をたてる帯飾りを掌で転がしながら、尊氏は卓に凭れた。 露わになった筋ばった下腕が、黒壇の上で金銀細工の横に並べられる。

「足利の家に出入りしてた細工屋だったが…気のいい爺で、纏わりつく餓鬼に手遊び程度の細工を教えてくれた」

師直には叱られたがな、と呵々と笑う男に呆れてため息をつく。 武家の曹司が細工屋の真似事などしては、たつものもたたなくなるというものだ。

「全く全く、若君らしからぬ」
「そう言うな、十にもならん頃だ」

それに本当にほんの少しだけだ、とくるりと飾りを回して言う。 ちらちらと漆黒の瞳に揺れる光が、僅かに憧憬をよぎらせていて何処か織りなされた色をしていた。

「そんな頃からこんなものが好きだったのですか」
「そうだな…まあ少なくとも書簡の山よりはな」
「尊氏どのならそうでしょうなあ…某のように文を愉しむ典雅な質でもなし」
「抜かせ」

心底愉快だと言うように、尊氏は相好を崩す。やはり上機嫌らしい、最近では珍しくはないが。

「童が好くには可愛げのない品ですなぁ」

黒壇の上に並べられた幾つかの細工が、差し込む日の光を弾いて煌めく。少し目を細めれば、尊氏は小さく首を傾げた。

「素直に目を引かれたのは寧ろ餓鬼だったからかもしれんぞ」
「…おや、今は違うのですか」
「っは、」

くつくつと喉を鳴らして、凭れた躰を更に傾ける。卓にほぼ身を預けきった体勢で、尊氏はちらりと此方を見上げた。

「……どうせなら見目がいい方がよかろう?駒の上の大将が映えるほうが、皆喜ぶ」
「それはまた、執事殿の入れ知恵ですか」
「…いや、」

すうと蕩けるように潤んだ瞳に、首筋が強ばる。 最近尊氏はちらちらとこういった色を垣間見せるようになった。 其れが意図的なものであると、知っている。そうでなくば誰かが気付くだろう、自分などではなくもっと彼に近しい面々が。

大々的な出兵もなく、拵えた幕府の枠組みなども大概に落ち着いてきている。ただ緩慢に流れる平穏に浸りきった京。 そして常に上機嫌に笑う、希ったものを手中に収めた男。

「…尊氏どの」
「……綺麗なほうが、いい」


戦場で血と汚泥にまみれ、なお陣頭に鮮やかに立つ姿。兵が焦がれる如きに見やる其れ。
それでもただ一人にその姿は喜ばれない。人非人の蠢く戦場において流血を憂える、彼。 浴びる様に滴る赤にその柳眉を顰めて、悲しみを宿らせるただ一人。

指先に絡ませた飾り紐をくいと引き、金の細工に指を伝わせた。弾く光を映す黒の彩が、刹那ゆらりと歪んで落ちた。

「綺麗だから」


好きだ、と尊氏はまた笑う。歪められた口元は少しも嘘をついていないのに、虚偽に似た後ろめたさに腕が力なく落とされている。 投げ出された躰は、均整が取れた武人のそれだ。少しばかり解れて垂れる艶やかな髪はきちりと手入れされていて、緩やかに肩を落ちる。濡れた黒燿の瞳がちらちらと閃き、流された視線がすうと身を薙ぐ軌跡を灼く熱で感じる。煽る様に眇められた瞳は背筋をするりと撫で上げ、震わせた。

思わずおもい切り顔をしかめて、打ち捨てられた体躯を見返す。婀娜めいた目元を、きつく睨み返した。


「無様な、何故そんな賤女の様な真似をします」
「お前が怒るからだ」
「貴殿がそんな下らないことをして、某を揶揄うからですなぁ」

はは、と力無く声を漏らしてから尊氏は身を起こした。 少しばかり決まりの悪そうな表情に溜息をついて、置かれた茶器を押しやってやる。

「某は天邪鬼な質でして」
「…あ?」
「奥方のような絢爛たる美女より、自らを恥じる慎ましい醜女の方に食指が動きますな」
「……登子はあれで結構初心だぞ」
「尊氏どのは面倒な趣向がお好きで」

大袈裟に肩を竦めてやれば、尊氏は漸く柔らかに笑んだ。

「そんなにお好きなら某が何か差し上げましょうな、先日の八朔は結局何も無くなったのでしょう?」
「つまり婆沙羅どのは貰い過ぎて倉から溢れてるのか」
「おやおやご明察で」

戯れ言めいたやり取りを交わしながら、密かにその瞳を窺い見る。先程までの不用意なまでの明け透けな情動は見られない。

いつからあのような戯けた含みを尊氏が持たせるようになったのかは微妙に朧気だ。大体、普通にしている分には何ら問題はない。 寧ろ伴う婀娜めく目元に、それこそ登子などは喜ぶだろうしそんな事は些事に過ぎぬ。 だが決まってその様な一種の投擲を行うのは、彼の深部に触れた時だ。其れもあくまで戯れの中でという形式が整えられている時だけだ。 あの色を見るのは好きではない。開けっぴろげに投げ出し、己が身を処す権を酷くぞんざいに放ってみせる。その癖それを拒むことを許さないような真摯なものを織り交ぜる。
平穏に浸る京に、流れる血の影は無い。…その為だけに、手に入れたのだろう。


「どんな飾りが良いですかな?いっそ身一揃え差し上げましょうか」
「あぁ、其れもいいな、何だお前こそ近侍みたいに衣冠を調えてくれるのか」
「尊氏どのに某のような装いをさせて執事殿や御舎弟に叱りとばされるのも一興ですか」
「それも面白い、」

からからと響く笑い声に、ひっそりと諦めに似たものを噛み締める。 細工を愛おしげに撫でる指先は、至極慎重に動き繊細なそれを折るようなことはない。
無関心故の物惜しみの無さなどと、何故そんなことがあろう。欲が無い男が、国を統べることが果たしてあるというのか。

整えられたものをぞんざいに投げ出したがる尊氏が、自らを偽ることに倦んでいるのだと知っていた。 綺麗なものが好きだと宣う。その方が喜ぶのだと、笑う。 穏やかな室の中並べられた幾つもの飾りの横で、黒壇に並べられた腕の力無さに視線を落とす。

そうして与えて投げ出して、全てを捧げてしか、喜ばせる術を知らぬのだろう。
綺麗に整えて与えてやって、上機嫌に笑う。



「…尊氏どの、今度は野狩りにでも参りますか」
「一体何の吹き回しだ…でもいいな、そうだな…師直に知れないようにしろよ」
「……泣きますよ執事殿が」
「じゃあ引き摺っていくか」

嗚呼全く尊氏様ときたら、と真似て嘆いてみせれば、一頻り笑っていた。

与えてやりたいのだと、強く焦がれている。どうやって与えてやろうかと、どうすれば与えて満たしてやれるのだと、その眼は延々と案じている。


その欲の強さは、奪うことに似ている。
与え、拒まぬ相手を満たしてやりたいのだと、願う。飾りたててやって、その笑みを手にする。

「楽しみですなぁ」
「ああ楽しみだ、」

くすくすと忍び笑う尊氏に、ゆっくりと笑み返す。自らの手で引きずり出した穏やかさの中で、尊氏は只管に笑う。


与えつくして、奪う。そうして其の様を自分はただただ美しいと、眺め。