目を引く雅な綾藺笠。
その赤い紐をほっそりとした喉に懸け、被らずに長い髪の
後ろに流している。美しいその女が腕を絡める相手は見るからに高貴なたたずま
いをした男で、腰に刀をさしていた。
媚びるような仕種なのに品が良いのは、重ねの色から指の先まで、洗練された上
級の遊び女ならではである。二人の後には各々の付き人らしい者が数人くっつい
ていて、小さな行列さながらだ。
彼等は橋に差し掛かった。
雑踏は好奇の視線を注ぎながら、避けて道を譲る。
華やかで美しい女、男には泰然とした風格がある。
目を引いた。
下の河原で遊んでいた童達も、目を止め、石を投げようと振り上げていた手を下
ろす。
一人が指差して言った。
「な、あれ、見て」
それを皮切りにして各々が声を上げ始める。
「すごいな」
「誰なのかな」
無邪気に目を輝かせ尋ね合う。だが落ちてくる夕日を背景に、男女は調度黒い影
絵になっていた。
すぐに示し合わせたように頷き、皆で石をじゃりじゃりと踏み締めながら駆け去
って行く。小さな背中を、朱い光が追いかけた。
「やっぱりすごいよな大将!だってこう、…相手が来たのにさっと交わしてさ、
」
一生懸命身振りをつけながらの少年の話を、真向かいで聞いていた憲顕は一瞬目
を光らせた。
そして手を伸ばし、彼の腕を緩く捉える。
「…大将?」
周りの少年達も、不思議そうに視線を向けた。憲顕は、少し低めた声音で言う。
「さっきので怪我してるなら、動かすな」
「え、…」
照れ笑いのようなものを浮かべながら腕を隠そうとする彼を目で諌め、懐から手
拭を取り出す。藍で染めつけられた上杉の家紋。勿論知らぬものなどいない。
血の滲んでいた傷口を川の水で濯いでから、きつく巻いてやる。
「まあ、お前の家は薬屋だから大丈夫だろ」
「…うん!」
ぽんと肩を叩かれて、また弾けるように笑う。つられて自分も笑いを零しながら
、立ち上がり振り返った。
向こうから、三つの影が近づいてくる。
「なんか、偉そうな人が通った!」
息を切らせながらそう告げた彼等に、皆の視線が集まる。そして口々に質問をし
始めた。
「どんな人?」
「わからない。誰か見えなかったから」
一人が、勢いづいて憲顕を仰ぐ。
「でも大将のが偉いよね?」
苦笑した憲顕だったが、宥めるような口調で答えてやる。
「…さあな。ここは都が近いから、誰でも通るさ」
近くの大きな石の上に置いておいた、上着を羽織る。
上等な絹、
鮮やかな刺繍。
身につけたらすぐに、領主の嫡男に様変わりする。元服はまだ三年先の筈であっ
た。
このまま何も言われなければ、だが。
そろそろだろう。商人の子は店じまいを手伝わなければならない。それに夕餉に
遅れると、歳下の癖に嘉一が五月蝿い。
「じゃあ大将、また明日ね」
「ん、ああ明日は、…来れない」
「え」
自分を見つめる数人の表情を曇らせたことを申し訳なく思いつつも、致し方ない
ことである。
「お稽古?」
「…不本意ながらね」
そう答えたが、実は本心でもなかった。
上級武士の子、つまり上杉の嫡子である
ことは必ずしも重荷ではなく、その立場故に得られる恩恵を、憲顕は自分に欠か
せたくなかった。
勉学も出来る。武芸もできる。ひいては楽も嗜める。
だがそれだけでは物足りないから、町の子供達と遊ぶ。農民の子も、商人の子も
、下級の武家の子もいた。分け隔てなく皆でいられる時が嬉しくて、屋敷を抜け
出している。もう誰も止めなくなった。
両方が必要だ、と彼は考える。
でなければおもしろくも何ともない。
仲間と別れて、一人であの豪勢な屋敷に帰る。その道のりを、袖と裾をはためか
せながら歩く。
結局何もかも手にしなければ気が済まない己に、憲顕は気付いていなかった。
『貴方様のお隣りを歩けるのは、ここまでですわね』
『いや、今日は上がれ』
『よろしいのですか?』
『いい。…今回はな』
『何と身に余る光栄ですこと』
『歌が聞きたい』
『ふふ。では声が枯れるまで、お聞かせ致しましょう』
さざ波のような笑い声が拡がる。行列は進む。橋を過ぎても。
出迎えたのは、良く似た顔の親子二人である。
「憲顕様」
「嘉一、…と嘉之助か。湯は」
「お支度出来ております」
嘉之助が上着を脱がせ、受け取る間に、童の嘉一はすぐに着替えを取りに行った
。
「お前がいるということは、もう帰ってきたんだな」
「…はい」
頷く男に、少し気まずげな色が過ぎる。見逃すわけもなかったが、聞かない方が
よいと判断した。
長女である姉に、縁談がまとまった。その輿入れの準備で屋敷を空けている母と
姉と入れ違いにして、父が帰ったようだ。
鎌倉と、京の都で用事を済ませてからの帰還。実に一月ぶりである。
戻って来た嘉一から仕度を受け取り、湯へと向かう。隠し事など別に気にならな
い。言いたくないようなことは聞かぬに越したことがない。
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