朱、白のその二色のみを折り進める。

この空間の中では、威勢良く鳴り響く蝉の声も白々しい。時々聞こえる、指が紙 と机を滑る音も。
いっそ無音の方が気が楽だろう。

そう思いたくなる。



使われなかった色は幾層もの束になって、だがおそらく彼なりの妙な秩序を以て 重ねられているのだ。

途中で投げ出すということは有り得無いが、決めた量が終わると未練も執着もな さそうに片付け始める。

彼の指はさぞこういった作業に向いていると思ったが、見る限りあまり器用では なさそうだった。しかしとにかく一つ一つが病的なまでに丁寧なので、出来上が った折り鶴は全てが完璧な形になる。




もう暑い夏の日だった。
彼の療養が始まって二十日ばかりが経つ。
兄の傍から病の父の元に移された彼はやはり隠しようもなく寂しそうであったが 、その後ろ姿も書に向かう横顔も、既に見慣れている、いつもと変わらないもの である気もしていた。


『外に出るといい。お前は伏せっているわけではないのだから』

父、貞氏は息子を気遣うようにそう声を掛け、彼は素直に返事をして従った。
だ がぶらぶらと歩き回ってはみたものの、結局何処か静かな場所に座り込んだきり だった。そうしてただ適当だと思われるまで、黙って時をやり過ごすのであった 。

供をするというより後ろから付いていくだけの私は、その真っ直ぐな小さな背が 、目的と言える場所を何も持たぬ悲しさを傷んだ。
いつもは利発に輝く眼が、居所を探す為に弱々しくさ迷っていることだろう。



つまらないのだと思う。
だがだからと言って、何か目新しい遊びを捜すわけでもなかった。

一人が寂しいのだと思う。
だがだからと言って他人を必要とするそぶりもなかった。

内気で歳不相応に思慮深い。兄の高氏の方が余程、屈託のない愛らしさがあった 。そして更に、直義は強情であった。
それがいじらしいか、痛々しいかを私に決められはしない。しかし彼のような者 が、今この時勢で生きていくのは酷く難儀だろうと思った。


髪をきちんと括り上げてはいるが、起きぬけの白い襦袢姿で、直義は毎朝診候を受ける。
床 から出ずにただ上半身を起こした体勢で、遠慮がちに口を開ける。喉を見せた後 は、煎じられた苦い薬を飲む。
薬というよりは漢方の茶に近いらしい。嫌な顔一つしない彼は、だが酷く時間を かけてそれを飲み下していく。

その間、初老のこの薬師はこう切り出した。


「…直義様、このようなお話はご存知ですか」

もとより薬は教養あるものの特権であった。
様々な知識に精通した彼は、直義に ごく自然と学士めいた話をしてくれた。
この時直義の眼は精彩を取り戻すのであ ったが、決してあからさまにはしゃいだりはしなかった。時々質問をしてみて、 静かにその答えを期待している。だが間違いなく、楽しそうではある。

「これではわたくしが堅者でございますか」

「そんな、題のつもりでは…」

「いえ、関心しておりまする。智恵は宝にございますよ」

緩く笑ってそう切り上げた薬師は、今度は父の元へ行く。それを知っている直義 は、有難うございましたと行儀よく頭を下げた。
そして、はにかんだ時の愛らし い表情を直ぐに消し去るのである。


掛け布をどけ、敷かれた床からそっと出ていく。
色の無い襦袢姿で立ち尽くすそ の一瞬程、彼がこの頃生の感覚を欠いてきていることを痛感する時は無い。
撫で肩だが直線的な細い身体が、真っ白な足首へと続く。虚ろに目を擦る仕草は 、泣いているように見える。


私が目を逸らし踵を返しかけると、いつもは無言で見送る直義が急に呟いた。



「…患ってもいない病を治すのは辛いでしょうに」



薬師が立ち去ったばかりの、その余韻すら残る場で凍り付いた。
おとなしく療養 、に引きずられてきた彼が、初めて、そして唯一立てた深く鋭い牙であった。