※本当は、OTHERにある「精神病紛いのお題」の抑圧Aにしようかと思ったのですが、長いのでこちらへ。
そういうお題な雰囲気が苦手な方は、お戻りください。

















「ほうら、直義。枝を折ってきた」

こちらに顔を向けるように寝返りをうった衣擦れの音と、白く光を映した瞳。
そっと傍に胡坐をかいた自分を、じっと見上げてくる。

「さくら?」
「うん、桜。」

弟の青白い顔には微笑もなく、すこし湿った気配のする喉と胸の肌を襦袢の襟から晒していた。掛け物の上の右腕は、痩せた枝のように曲がっていた。

「まだ具合悪い?」
「いえ、でも、だいぶ」

曖昧なことしか言わなかったのは、まだあまり良くないということだろう。
高氏だって、季節によって風邪を引いたり、熱を出したりということはあった。しかし、それよりも高い頻度で、弟はこうして床についている。
自分と同じように咳をしていることもあり、熱を出していることもあったけれど、今日のように、よくわからない時もあった。
直義はただじっとりとした視線で何かを見つめながら、何かに押し潰されるようにして寝転がっていた。

時折瞬きをする彼の瞳が少し怖くて、高氏は無理に饒舌になった。

ーーー・・・高い木に上って、折ってきたんだ。花が落ちないように、そっと。師直が下で、怖い顔して見上げてた。危ないですよ。おやめください。高氏さま。


高氏はぽつぽつとそんな言葉を続けた。直義は、黙って目を細めていた。

「後で、ここに飾ろう」
「はい」

「駄目か」
「え?」

「あんまり、喜んでくれなかった」

肩を落とした兄に、何かを言おうと唇を動かす。

「だって、塀の外にある桜ならば、ここからでも見えるんですよ」

ほら、あそこ。

顎で示した先を振り返ることもなく、高氏は下を向いて押し黙ってしまった。

「何かあったのか?」
「・・・」
「どうして、寝込んじゃったんだ」
「理由、は、たぶん自分ではわかっているんです」
「・・・、だったら、」

「でも、こうしていれば兄上が、傍にいてくれるかなあって」

直義は、薄っぺらな身体をかたかた震わせて笑っていた。
出来損ないの人形が、風に吹かれているようだった。

「きっとどこかで、考えているのでしょう。浅ましいことに」

低められ、弱まる声を追いかけ、高氏は手をついてもう一歩身体を近づける。
持っていた桜の枝をそっとそばに置いて、指先で弟の頬に触れた。弟をあやすためのいつもの仕草だったが、威圧じみた気配がうっすらと高氏から漂った。
ゆっくり手のひらも押し付けると、直義はぎゅっと目を閉じた。

「仏門に入りたい」
「・・・え?」

直義の白い指が自分の手首に絡みついた。そして、高氏の手を自分の頬から剥がそうとするように押してくる。
その力はあまりにも必死で、しかし彼の望みを果たすには足りない。

「何言ってるんだ直義」

  高氏は難なく、弟の手を床に押さえつけた。重さをかけると、手のひらの中の骨が悲鳴を上げるようだった。だがまだあきらめようとせず、じたばたともがいた。

「今だって、直義、たくさん勉強してるだろう。たくさん、先生だって来るし。だったら別に、いいじゃないか。」

抑える手と、逃げ出そうともがく手。双方は変わらず押し問答をしているのに、高氏の口調はまるでとぼけたように飄々としていて、直義は僅かに怯えながら奥歯を噛んだ。

「法門の勉強がもっとしたいなら、俺が父上に聞いてやる。偉い人だって、ちゃんとお願いすれば呼べると思うし。な?」

問いかけると、弟の瞳にはみるみる涙が滲んだ。
――・・・どうしよう。俺が泣かせたのか?
かくん、と高氏が首を傾げると、弟は震える声で呟く。

「だってもう、苦しい」

直義は、薄っぺらい身体をかたかた震わせて泣き始めた。手を押さえているので涙を拭くこともできず、ただ頬から下へ垂れ流すだけである。
やっぱり、出来損ないの人形が、風に吹かれているようだった。

「俺を一人にするのか」

「・・・ちがう!そうじゃなくて、兄上から離れないと、わたしは、」

雫は弟の真っ直ぐな髪にひっかかり、じんわり拡がりながら潰れていく。高氏は身を屈めて顔を近づけると、視線を注ぎ込むように見つめ、吐き捨てた。

「違わない。お前がいなくなったら、そうなるんだ」

弟は、息を呑む。目をまん丸に見開いて。

「お前は、俺の、弟なんだから」

大して目立つところもない、白い瓜実顔の。
雀の羽のような色の、その眼が。

ただ手の中にあったら、どうだろうと考えた。
大事に大事に、包み持つだろう。指を開いて、眺めるだろう。
高氏は思い返し、得心がいったような気すらしてくる。

力を増していく兄の掌と指に、直義は押し黙った。もしも自分の心臓がぐしゃりと握りつぶされる時が来るとしたら、きっと、こんな痛みがあるのだろうと思った。そして、そのことに意識を向けていくと、自然と涙は止まった。

 高氏は立ち上がり、ひょろひょろとした金凰華の生けてある枕元の花器を持って、縁側へと歩いていった。春の日を弾き返す明るい黄色の花びらが、ぱらぱらと庭に投げ捨てられる。
まだ花がついているのに、と思ったが、直義は何も口に出さなかった。
空になった花器を持って帰ってきた兄は、突き刺すように桜の枝を生け、また元の場所に置いた。

直義が身体を起こしてよくよく傍で見ると、桜の花は白ではなかった。
花の蜜が集まっているであろう中央にかけて、うっすらと桃色に染まっていく。
兄の手に握られているのではなく、花器の中に収められて初めて、直義はこの花をちゃんと眺められる気がした。
花びらを指先でいじる弟の手首には紅い痕が付いていた。桜の花と似ていると思い、高氏は初めて満足して笑った。

やはり知っているものの方がよいのだ。
そうやって、ずっと一緒にいるのがよいのだ。







「新奇病」=ネオフォビア。真新しい刺激に対して恐怖を憶え、それを避けようとする事。