「…の、す」

「…はい?」

「真に『逢ふのす』と言うと思うか」

「…何が、でございましょう」

「東訛りのことよ」




…鎌倉に。

来いと言われてふと思い当たり、丹波を出る前に書庫の歌集を引っ張りだした。
発つ直前まで読み耽ったおかげで、道中はやたらと頭が重かったのだが。

「我々に支度を任せ切りで…そのようなことを」
「せっかく東へ出るのだ。見るべき所を探すは当然だろう?」

「お慎みを。遊山ではありませぬ」

膝を折った高さで、嘉一は私の礼装を整えていた。衣に手を掛けたまま正面から きつく睨み上げてきたので、冷めた表情で応えてみせる。

「ならば客遊よ」

「憲顕様!」

「一度も会うたこともない叔父に、何を思えというのだ」

「………」

怒りを通り越して、すっかり弱ってしまったらしい。眉を下げておろおろと俯い てしまった。

嘉一とはそう歳の差も無いし、童の頃からの付き合いなので大抵のことには動じない。
が、さすがに今回は事が事だ。


「…なんて、な。いや悪い、さすがにそこまでは私も思っておらぬ」

「嘉一めをからかいましたか」

「半分は本気だ」


何かを言い掛けた嘉一がふと黙る。体を傾けて私の後ろを見たのにつられて、振 り返った。


「支度は済んだか」

「ええ」


抑揚の無い声が掛かる。嘉一に目配せをしてから室を出ると、案の定父がいた。
私の身なりを見てから一つ頷き、さっさと背を向ける。

今回父は一足先に鎌倉に来ていて、叔父の容態を見てから遣いを寄越した。

どたどたと床を蹴る音が近づいてくる。途中早足で追い付いてきた重能が、隣に 並んだ。
最後に見たときより、少し大人びた気がする。


「おう兄貴、その面忘れてたぜ」

「お互い様だ。…お前、また大きくなったか」

「さすがにもう伸びねえよ」

父が歩む先では、人が道を開け頭を垂れる。小声で軽口を叩き合いながらも、神 妙な顔を作り会釈を返していった。
その度に、下げた頭から上目遣いにこちらを 伺っているのが分かる。

「…見せ物か」
「兄貴がな」

「何?」

重能は口の端を釣り上げる。

「俺はもう随分いるから別だけどよ。『あの』上杉憲房の跡目はどんなもんかってな」

「笑えんな」

「すぐ慣れるさ」

奥の広い一室の前で父が足を止め振り返った。いつもと変わらぬ仏頂面だ。重能 と顔を見合わせ、ぴたりと口を閉じる。
戸の傍にいた男が丁寧な動作へ中へと促し、父は人波を割るようにして入ってい った。
香が立ちこめるその中は粛粛としているのに、集まった面々は過剰な程周りに注 意を払っているように見える。内心うんざりとしながら、とりあえず差し障りが なさそうな暗い表情を浮かべておいた。

実際、式はあっという間に、そして滞り無く進んだ。私は横なり後ろなりで適当 に父に合わせていればいい。


読経が終わり、従兄で次期当主の高氏が軽い挨拶を述べた。当然初めてみる顔だ 。私とあまり歳も変わらぬだろう。
縫い付ける視線達に突き刺されて、いかにも窮屈そうな彼には否応無しに同情を 覚える。
しかしこの光景を作り出した全てのものが、先程から感じていた嘘寒さ に拍車を掛けていた。

中でも父はとりわけ強い感情を滲ませているようで、横にいる私ですらぴりぴり とした威圧を感じた。
ひたりと見据えるそれが余計彼を戒めるのだろうと思うと、笑えない皮肉さがあ ろう。

「殿」

掻き開くのはすぐ横からの低い声だ。


「…お休みなられませ」


横目で伺ったその顔には、何にも例えがたい優しさと厳しさが滲む。
珍しい表情だが驚きはしない。
…たぶん、こういう顔をすると思っていた。


「出ていっちまったな」

重能が小声で呟く。

飛び出していった従兄の背を眺めて、ああ、と気もなく頷いた。









「それで…」

盆の上には小山がある。
弟の手がざっくりとその群れを掴んだが、落ちてきた周りの豆がすぐにその隙間を隠し た。

式が済んだ次の日。
扇いだ風の清々しさに目を細めながら、不満げな弟の面を見返す。


「何で俺のとこに来てるんだよ」

「…あの室にいると客が絶えなくてな」


掴んだものをすぐ口に入れるのかと思うと、重能は人差し指と親指だけを器用に使って豆 をぴんと弾いた。
真上に打ち上がって、落ちてきたところを、開けた口で受けとめる。


「巧いな重能」
「だろ?」

「…餌に喰い付く魚みたいで」
「あんま嬉しくねぇな」

二個目が口に入った。
手を止めて自分も一つ摘んで口に入れてみる。…乾いた口触りから滲むその濃い味が、あ まり好ましくない。

「髭はいつまでいるんだ?あっちを空けてていいのか」

「憲藤が留守番してる」
「相変わらず貧乏くじだなあいつは」

少し顔をしかめるように奥歯で咀嚼している重能は、身なりも雰囲気も妙に寛いでいた。

「ところでお前は、新しい『殿』についていなくていいのか」

「んー…こういう時付きまとわれるのもうざったいだろ」

「まあな」

重能が高氏に仕えて二年程だろうか。顔つきからは確かに子供っぽさが抜けたが、こう やって不貞腐れて耳の後ろなどを掻いている仕草を見ると、根はたいして変わっていない ようである。

「それになんつうか、親父が面倒なことは全部手を回してるから、俺の出番は無し。」

「だから拗ねてこんなもん喰ってるのか」

「豆喰うのは暇潰しになるだろ」

こうして話す間にも、彼の掌の中の豆は確実に減っている。最も、盆の上のものは一向に 減らないが。


「…そもそも金魚の糞がいるし、」

より一層大きな音で、重能は豆を噛み砕いた。

「金魚の糞?」


鎌倉に行ってからの弟の話を聞くのは実は今回が初めてだ。些か興味が湧いた。

「そう。高氏にはもう餓鬼の頃からの専属がいるんだぜ」
「…だろうな」
「だから、俺の出番は無し。…歳も」

握る豆は後一つ、慎重に指先が動いた。

「違う、し、よ、っと……、………お?」

落ちてくる軌跡の途中でさっと掴み取る。握ったそれを自分の方へ投げて、口に入れた。

「ああっ!」

「…しけた味だな」

「てめえ!憲顕…っ!」


立ち上がろうと立てた重能の足が、置いてあった盆を蹴った。

「う…」


私と重能の間を、途方も無い数の豆達が、意志でもあるかのように散っていく。ころころ と床を転がる様を、私達は黙って見ていた。
その時、


時機が悪いのか良いのか。


「重能、…いるか」
「……へ?」


その声を聞き、重能が我に返る。


「高氏様?…しばしお待ちを」
「いや、ここで話せればいい」

そうですか、と素直に立ち上がり、散らばる豆共をひょこひょこ避けながら、重能が戸口 へ向かう。座ったままの私は、何となく近くにあった一つをぴんと弾いた。



転がるそれは重能の踵に当たり


「……豆?」


腰を屈めて拾った彼と、私は初めてまともに顔を合わせた。