直冬と直義




「さむい」


義父上は冷えた手に、ふう、と息を吹き掛けた。

真っ白なこの人は、ただし聖人などではなく。
我儘で弱くて、本当は至って狡猾だ。

だからただ温める、自分の手だけを見つめている。
頑なさのその後ろで『引き摺りたくない』と訴えている。

ずるい、義父上

許される声は唇のかたちだけだけど。


私はいつも、貴方のために耳をそばだてる。目を凝らしている。さむい、と聞い たから、移せる体温を探している。

純白な貴方はとても狡い。白を知らぬ私より、ずっと狡い。


「そんなに寒いですか」

「うん」

目を上げた貴方はただ前を向いて、引いて伸ばした袖で手を包んだ。
行き場を失う私の温度が、じんわりとまた私に戻る。

「寒いのは大嫌いだ」

「そんなことを言わないでください。冬ならば仕方ありません」

ふゆ、と義父上は小声で繰り返す。そして、だったら、と続けた。

「手を繋ごうか」

一瞬全ての時が止まって、また動きだした頃には血が胸でどくどくと沸き立って いる。
苦笑いのようなものが浮かんだ。馬鹿みたいに切なくなりながら、私はい いえと首を振る。


「…どこから見ても、私はもう立派な大人ですから」

「そう言うと思ってた」

照れ笑いのようなものを浮かべた義父上の手は、確かに握った袖から差し出されてはいな かった。

「からかったのですか?」

「違うよ。本当にそう思った。手を繋げば暖かいのに」

仕草とは裏腹の拗ねた口振り。そうだ。この人はその暖かさとやらを知っている のだから仕方がない。

「寒いのは、大嫌いなんでしょう」
「うん。でも、冬という季節は、嫌いじゃないよ」


「なんか矛盾してませんか?」

「嫌いだったけど好きになった。だってほら、直冬はきっと冬に生まれたのだろうから」

届かない私の温度。

焦りが、生まれている。
伏せた睫毛に、まだ降らぬ雪を積もらせるかのように。





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幼少期 憲顕と憲藤(上杉次男坊)




「打ちました」

土砂降りの雨は、素行不良の兄を珍しく屋敷の中に留めてくれた。

「…んー」

弟の眼差しが寄せる期待を、間延びした返事で引き延ばす。
切りのよいところま で読み終わると、憲顕は目線で碁盤の上をなぞった。そしてまた手元の書へと関 心を戻す。

「三、六。」

「はい」

言われた場所に白い石を置いて、今度は自分の手を考える。憲藤はさっきからそ れを繰り返している。
相手は片手間もいいところだが、それで満足らしい。
熱心にめくっているのが鄙振の書だと知らなければ、貴人らしい上品な微笑に見 えるだろう。
本当は歌の滑稽さに、口の端を綻ばせているだけだ。


兄のものぐさを意に介さず、憲藤は碁石を睨んでいる。
どうして勝てないのだろう。兄はいつもあんな調子なのに。


「もうやめだ。寝る」

「え」

「お前、考えるの長すぎ」

「…すみません」


※このサイトでは、長男=憲顕 次男=憲藤 三男=重能としていますが、史実として正確な兄弟関係はわかっていません。


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あやめ(直義娘)

『独白1』



「俺にも抱かせてくれ」

伯父は腕を伸ばして私を抱き上げると、胸に抱え込み、しっかりと腕で支えました。
そしてじっと顔を見つめ、本当にとろけそうに優しく笑ったのです。

「お前に似てる」

そうかもしれません、と父ははにかんでいました。すると伯父は一層目を細めま した。

「お前に似てる」


私は父の娘ですから、父が誰かに愛されていることをとても嬉しく、誇らしく思う。

そしてそれが私の、伯父尊氏への一番古い記憶なのです。

一番愛おしい、記憶なのです。