晩夏の日差しが焦がすその勢いのまま降り注ぎ、濃緑を弾いて零れたそれはちりりと首筋を灼いて、 垂れた玉飾の鈍い輝きを揺らめかせる。踏みしめた玉砂利だけが涼やかな音で鳴り響き、整えられた石の並びは 水辺の飛沫を散らす趣で小さく跳ねた。
絢爛な棟の並びに差し掛かる青々とした低木が、微かな風に影を揺らす。 落ちかかる光を仰ぎ見てから、目の前の其処に意識を引き戻した。

豪奢な白壇の前に開けるようにして据えられた其の場を、ざっと一瞥する。 居並ぶ面々の視線が絡み色を乗せたが、構わず歩を進めた。

至高の座に謁く為の、此の場。
眼前に聳える壇に丁寧に礼を取ってから、重たい礼服の裾を捌いて静かに膝を付いた。

「足利尊氏、只今御前に仕りました」

深々と頭を下げて、其の侭動きを止める。

「…よい、尊氏」

かけられた声は低く、そして重たい其れだ。 促される儘に顔を上げれば、最上段に位置するその影と視線がかち合う。 不躾な行為を、だが相手は咎めもせず寧ろ愉悦すら混じえてこちらを見返した。 確かな威圧を滲ませ、それでもその視線は何処か哂いを内包する。

後醍醐帝は、そしてゆるりと口を開いた。






日も傾くというのに未だにその日差しは弱まる様子がない。 時は既に九月の初頭、盛夏を過ぎた時期ではある筈なのだが。 足を速めるでもなく、門の方へと向かう。開けた大路は宮内に相応しく美しく整えられ、 何をはなしに石の並びを目で追った。



「尊氏さま」

良く響く声に振り返れば、其処に立っていたのは見慣れたその姿だった。

乱れ一つ無い葵の官服に一本の直刃を腰に構えてはいるものの、何処か文官めいた印象の消せぬ男である。 鴉の濡れ羽の漆黒を塗りたくったような彩の髪を、綺麗に冠でまとめ上げて、 ある程度の上背はあれど何処か柳質な様が漂うのもそれを助長する一因に上げられるであろう。
男は確かに武官ではあるが、確かに自分にとって彼のおける位置は少しばかり文官の其れに近いから 主観の入り交じる印象は全くの誤りではないのだが。 何処か神経質に寄せられた眉の間には、本気で自分を案じるそれがある。 伺う姿勢でこちらを見つめてくる相手に声をかけた。


「あぁ師直、お前重能はどうした」
「あ…重能どのは…その、馬を牽きに行って下さいましたが」


肩透かしを喰らった様に形容し難い苦さをちらつかせた相手へ、小さく笑い掛けてやる。 重く纏わりつく冠を髪を掻きあげたまま毟りとり、目の前の相手に放れば小さく眉を顰めてそれを受け止めた。

「……尊氏さま、」

言外に籠めた非難に小さく首を振る。いい加減煩わしい形式には飽き飽きしていたし、それに揶揄するその行為は元々他でもない師直に向けたものだ。一歩を踏み出し、肩越しに落とす様に視線を流せば渋々といったように後を付き従う足音が玉砂利の庭に響いた。


高家は代々足利家の執事職を務め上げた家筋であり、その当代にあたるのがこの高師直である。 当代の足利家、つまり自分の執事を務めている師直は自分より五つばかり上だったが、 それこそ自分の元服する前から続くこの間柄に今更遠慮する様なものはない。 執務者としての師直は確かに有能であり、自分に回ってくる決済の類を捌いているのが他でもない師直だった。



「尊氏さま、その…帝は何と?」
「あぁ、 参議を頂戴した」
「!…それは…お祝いを」
「はは、空言をぬかすな師直。嬉しいという面か、其れが」
「…然うでございますね」

そう答えると師直は苦笑いで小さく肩を竦めて見せた。 今回の昇進は純粋な功労故ではないのだから、致し方無い反応だ。


笑って何事かを言おうとした師直はだが、さっと表情を固まらせる。同時に聞こえてきた声に小さく溜息をついた。



「――おやおや此れは、足利殿か、如何して此の様な場所に?」
「大塔宮…」


其処に立っていた男は、大塔宮その人であった。目に入った豪奢な衣はだが、どちらかと言うと抑えた色合いのものだ。 後醍醐帝の子息である護良は、その出自にもかかわらず歴戦の武の者であるから、奢侈の中にもそうした趣を忘れ得ない。
宮の顔にはありありと隔意が浮んでいて、憎憎しげに歪められた口元には其れでも辛うじて笑みが乗っている。 自分がどのような口上を弄して、帝から参議へと昇げられたのか知っているのだろう。 身を固まらせた師直に後ろ手で控えるよう示してから、極自然に宮へと体を向けなおした。

「……畏れ多くも帝に奏上を許され参内した次第でして」
「そんなことは知っている。」

しら、と言い放って鼻先で笑う。 率直な当て擦りに黙ったまま軽く頭を下げれば、宮は大仰な身振りで苛々と頭を振り、視線を上げて大きく一歩此方へ踏み出した。

「其れで?足利殿は何事をお上に奏上しに参ったのだ」
「……帝より、有り難くも参議に召されましたゆえ」

「っ貴様がお上の恩寵を逆用して、図々しくも掠め取った位だろうが白々しいっ」
「その様な事は断じて御座いません、宮も御戯れを仰る」

そっと目を落とせば、寧ろ激したように宮は声を張上げた。

「何を言う、貴様暇乞いをしたと言うじゃないか。――この様な状況では勤仕なりがたき…などと!」
「…確かに。しかし帝の御情とその事とは別のことと」
「口の減らぬ痴れ者め、誰に向かって物を申しておるのか」

殺意すら滲ませて、宮は此方を見据える。些か言い過ぎたか、と何処か遠く考えて内心うんざりとしていた。 この様な諍いは初めての事ではなく、何より今日参内した理由は他でもないこの宮にあるのだった。





建武の御新政の始まる前からのことである。

北条を打ち倒し、鎌倉幕府が終わった戦。その戦の終結に伴って帝は京で新政を布かれた。 戦の戦功に報い、政の仕組みを整えるそんな時期に、帝の子息であるはずの大塔宮は 自分の願いが聞き届けられねば蟄居先の山を降りぬと言い放った。
そしてその願いこそが、自分足利尊氏の排斥であったのである。

宮が延々と自分を敵視する理由は明白だ。足利は武家が名門、そして戦の際に積み立てた功は甚大なものだ。 皇家寄りで無い勢力に力を持たせまいとする姿勢は、宮にとってはある意味で当然の物と言えよう。

結局山を降りる段については後醍醐帝自らの取り成しもあり、無事に運ばれたが、 その後の宮側の態度は只管に足利の排斥にある。 年を改め建武の元年となってもその兆候は高まるばかりで、一時も緩み等しなかった。

そして三月前の六月七日未明、とうとう宮は動いた。

足利の邸のある六波羅へ兵を向けたのだ。夜襲を企てて集められた兵の数は少なくなく、 京の都は流れる血の気配に震撼した。結局事前に夜襲の情報を得ていた六波羅は夜通し篝火を焚き、 常の倍もの兵を警備にと当らせた事で、宮側の兵も立ち入ること叶わず、何事も無く日は昇ったのだが。 宮の夜襲は為る前に然うして立ち消えとなったが、最早此れは戦と呼べる直截的な攻撃である。 この儘手を打たずいれば、夜闇の中消されるのは明白だ。 現に六月七日のことにしても事前に情報が得られねば、恐らくは危ない事態にとなったであろう。

そうして自分が帝へと願い出たのは暇乞いである。
――この様に尊氏を除かんとする動きがあるようでは、満足に御勤仕なりがたく朝を退かせて頂く、と。


つまりは其れを押し留めるための帝の配意こそが、此の度の参議への召し上げである。宮への面当てに取った位だと謗られても、ある程度其れは事実だった。


「調子に乗るな、貴様が今此処におられるのは偏にお上の御情けゆえのこと。 その様な貴様がお上に害為そうなどとしてみろ、此の手で首を刎ねてくれるわ」

「その様な気は毛頭御座いません宮……然し私めとて、この身に斬りかかられれば唯立ち尽くすのみという訳にもいきませぬ、――御寛恕を」

「……!…き、貴様…!」
「尊氏さま!」


目を見開いた宮が此方に更に一歩近付く。 拙い事に為った、と頭を掠める暇こそあれ、如何にも弁解を聞こうと言う態度でもない。


腕が振り上げられる瞬間、不意に肩を引く力につられて一歩後ずさった。



「あ、…重、能」
「尊氏様」

肩にかかった手に振り向けば、少し複雑な色で此方を見ている従弟の姿がある。 そういえば馬をひきに行ったと師直が言っていた。

「…すまんな」
「いえ、」

ちらりと笑った重能は、小さく前へ視線を遣る。 重能が自分を後ろに引いたのと同じくして誰が宮を止めたのか、当然見えていた。

「義貞…、」
「宮、此処は宮中に御座いますゆえ…何卒」
「……」

黙りこんだ宮は、此方をもう一度睨み付けるとさっと身を翻した。 何も言わずにその後についた男と刹那視線が絡み、静かに瞳を絞る。
新田義貞、其れこそ元服した頃から相容れぬ相手と目された新田家の当代である。 その様な男が自分を庇った訳ではないことは明白だ。唯単に御前での宮の失態を収めようとしただけであろう。
かち合った視線はだが、静かに外れて流れていった。





「……尊氏さま」
「少しやり過ぎたか」
「やり過ぎたか、ではありません…挑発で済む状況ではないでしょう」

歩き去った影が消えたのを確かめて、呑んでいた息を深々と吐き出すように師直は睨めつけた。 小さく首を傾げて其れにこたえてやる。

「あそこで打たれていたらどうなったことか、」
「お前もそう思うならもっと早く止めろよ」
「……はあ」

重能の一言に途端に苦い顔をした師直に、軽く笑う。

重能は母方の伯父、上杉憲房の義息である。その縁から未だ二十にもならぬ頃からの関係となっているのだが。 師直が一見文官めいているのに較べ、重能は上背も高く鍛え抜かれた背に、精悍な顔つきをしている あからさまな武将肌であった。
だから、という訳ではないだろうが師直は今一重能を苦手にしてる節がある。 最も重能の方はと言えばそんなことは歯牙にもかけぬ様子であるが。

「はは、重能、礼を言う」
「勿体無きお言葉」

力強く笑って見せた重能は、それではそろそろ帰るとしますか、と言って繋いである馬の方を示す。 それに従いながら、ぼんやりと袖の中に入れた布袋を指先で弄っていた。



六月の件以来、最早止めようがないところまで来ている。 恐らく近いうちに何らかの形で答えを出さねばならないだろう。それは宮に…そして帝に対して。

細かな刺繍のしてある布袋は、指先に僅かに鋭い感触を齎す。



―――心配しているだろう、屹度。
だからこそ早めに、結果は出さねばならない。



……”離れていても兄上の無事をお祈りいたしておりますから”



耳に残るその声に、唇を噛む。其れは此方の台詞だと呟いて、そっと掌に握りこんだ。






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