どたどたとした足音と、良く知ったその声に、師直は書机から顔を上げた。
少し躊躇ってから、戸を細く開けて様子を伺ったが、二人はもう師直のいる室の前を通り過ぎていた。
「会わない」
「どうしてですか?」
「どうでもいいだろう」
「待って!」
足を速めた直義は、追いついた兄の腕を掴んだ。
珍しく感情的になって、ぎゅっとしがみつく。追い縋る弟に、だが高氏は気詰まりな視線しか返せない。
「離せ」
「離しません」
「っ、直義!」
長い廊に、高氏の低い怒声が響き渡る。
弟の細い肩がびくりと跳ね、怯えた瞳はぎゅっと縮んで見えた。
しかし直義は、一度下を向き、唇を噛んで踏みとどまった。そして、もう一度兄の顔を見上げる。
ひとりの童の人生がかかっているのだ。今までの、これからの、彼の在るべき場所が。
「会ってくれるというまでは放しません」
「・・・・・」
「もう、二十日も、私の屋敷にいるのですよ」
直義は、声を潜めて告げる。しかしその語気からは隠しようも無い憤りと必死さが漏れ出ていて、高氏は余計にうんざりとした。
泣きそうな眼で、逃げ出したいような眼で、何を必死に追いすがってくるのか。
使命感、正義感、または怖気が走るような、他者への奉仕の心。
「お前が勝手に引き取ったんだろうが」
「・・・それは」
「俺は関わるなと言ったはずだ」
「あにうえ」
「もう二度と俺の前で、その名を出すな」
高氏が何もしなくても、弟の白い指は勝手に外れた。
「本当にお前は」
溜息と共に吐き出される兄の声に、直義は今、自分が止めを刺されようとしていると予感する。それでもじっと、兄の真っ黒な瞳を見上げる。すぐにでも優しく頬を撫でて、微笑んでくれるかもしれない、と考えてもみたが。
「余計な、ことばかり」
高氏は、弟が傷ついて、崩れ落ちるかと思った。そしてもしそうなれば、優しく頬を撫でて、微笑んでやろうかとも思っていた。 お前は自分のことだけ大事にしていればいいのだ、と言い聞かせてやるつもりだった。
しかし、その表情は怒気を帯びており、瞳には間違いなく憤怒の炎が揺らめいていた。振り返ったままの高氏を睨み付けた直義は、すれ違って、廊の奥に消えていった。
かろうじて、という言葉が、情けなくも似合いだった。
自分の室に入った直義は、そのまま崩れるように足を折り、倒れこんだ。
どうして上手くいかないのだ。
憤りと悲しみが渦を巻いて、直義の思考を黒く塗りつぶした。
それでも気持ちをまともにしようとすると、気持ちが悪くて吐き気がした。
あともう少ししたら直冬が此処にやってくるだろう。自分が呼んでおいたのだ。
実父と再会する場をやっと整えられる、という話をしてやるつもりだった。
板張りの床は、冷たく、硬く、直義の身体を受け止めている。瞬きをすると、今更のように涙が流れた。
眼を閉じると、もうどうしようもない気がしてくる。
本当は、直冬の境遇よりも、兄に拒絶されたことを悲しむ気持ちがあるのだろうかと思うと、甥の顔すら見る資格はないようだった。
僅かに閉めそこねた戸の隙間からは、暗くなり一層霧が目立ちはじめた外の景色が覗いている。 まるで煙が巻いているようだと思い、少しぼうっとしては、むしろ憂鬱な気持ちに引き戻される。
それでも直義は、幼い甥の顔を思いだす。身体を起こして、直冬の座の仕度をした。
さいしょからうまくいくわけはない
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