まるでひのひかりの様に、笑う。

私にはそんな彼を素直に好ましいとは、思えなかった





十三になったその日、父が死んだ。
余りに突然の別れに暫し呆然としたのは覚えている。だが母の如くに泣き崩おれるには死 を解さない自分は余りに幼かった。慌ただしい変化に呆けていれば、勝手に周りが気を利 かせた。悲しむという形式が整って初めて自分の役目が父の亡骸に泣いて縋る、其のこと だったのだと気が付いたのだ。
不思議と何の感慨も浮かびはしなかった。ただ父の死は父自身よりも自分にこそ変化が訪 れるのだということだけがただ強く目の前に在るのみで、呆けるというにも遠い気分に、 感傷に浸るには半端な具合であった。

父は死にそしてその日から全てが変わる。

喪に服しながらも、母は淡々と全ての支度を済ませた。整っていく形式を自分はただ漫然 と眺めていただけだったが、それが何の為の支度なのかなどと愚かしい問い掛けだけはし なかった。そう父が死んだのだから次は自分の番、決まりきったことだ。


この家の存在意義はただ一つだけ、その為に在り続けているのだから。

――…そう、この高家の、血は。






「高師重が長子、師直ともうします。」

深々と礼をとれば、目の前に座す痩身の男は小さく頷いた。 慣れぬ官服は元服前の身にはお仕着せめいて、我ながら余り似合ったものでもなかった。 しかし男はそうして首を小さく垂れ、息を落としこの場に必要とされた形式の全てを従容 した。

「…そうか、師直、というか」

物静かな外見そのままに穏やかな声が室に響く。館の奥深くに据えられたその室は、確か な調度と格式を整えていて自然と背筋が伸びた。顔を上げればこちらを見やる目線は至極 緩やかに自分のそれと絡む。何処か線の細い顔の造りには、だが確かに存在する凄みが あった。

その威に竦むように背が強ばり、小さく喉が鳴る。男は他でもない、父が執事を務めた足 利家の当主貞氏その人であった。

「…年は幾つになったか」
「…十三、に」

尋ねる声はあくまでも柔らかく、和やかなものだった。少しばかり掠れた声で紡いだ返答 に、寂しげな顔をして貞氏は笑んだ。

「…師重には、…そなたの父君には、本当に良く尽くして貰った。感謝している…私より も先に、逝くとは思わなかったがな」
「…殿」

苦い弔意を込めた笑みは余りにまざまざと貞氏の慈愛を滲ませ、感極まるというより寧ろ 狼狽に似たものを覚えた。
高は代々足利に仕え支えてきた家だ。幼い頃から、父はその事だけを繰り返し言ったもの だ。自分はただ殿の御為だけにある、お前もいつか足利の方にお仕えする身ならばそれを よくよく銘じおけ、と。
勿論貞氏が生来あまり頑強な質で無いのは知っていたけれでも、それにしても父に、そし て家そのものによって己の中で絶対たる存在として位置付けられた足利の当主としては、 貞氏の態度は余りに穏やかだった。

「……過ぎたお言葉、父もよろこびましょう。若輩者ですがわたくしも殿に誠心誠意おつ かえする所存ですゆえ、どうかよろしくおねがいします。……父もそれを望んでいました から、わたくしもはやく殿の御為はたらけるように精進いたします」

黙っている訳にもいかず予め用意していた口上をつらつらと述べる。少しつかえはしたも のの言い切ることが出来、内心小さく息をついた。

あれ程父がいれあげた相手なのに、自分の知る無骨な父と目の前の主ではその光景を今ひ とつ上手く描くことが出来ない。自分がまたその後を継ぐのだと思えば尚更対処に困っ た。
拭いされぬ据わりの悪さのようなものは、文面通りの口上に尚更際立つ。 しかし深々と頭を垂れて、貞氏の視線を伺い知ることは出来なかった。

木床についた指先から冷たさが沁み、ぞろり背筋を撫でる。こうなることは前々から分 かっていたことで、自分に不平のような意志は何一つ無い。なのに穏やかなる主に紡ぐ心 意は訳もなく白々しく響いた。

貞氏はかけらも咎めだてるような色を持たぬのに、わけなくうなだれた首は重かった。


「……そのことだが…師直」

黙って聞いていた貞氏が、ゆっくりと選ぶようにして言葉を発する。 重い声色では無いのに、それは酷くずしりと胸の中へ落ちた。

「―……私はもうすぐ官位を退くことになると思う」
「!?殿…?」
「そなたも知っての通り、私は病持ちだ。このまま病が進めば今のままつとめあげること は出来まい。」

言い放つ貞氏をつい呆然と見つめる。そこには激情やもしくは投げやりなものなどは何も 何一つない。ただ淡々と事実を語る貞氏はどこまでも静やかだった。

「…隠居の身とならばそなたのような者を執事などに据え置くのは身に余る。第一そなた はまだ十三、病人の世話などと先行きのない務めは厭であろ」
「!…そん、なことは…」

必死に繋ぐ言葉を探しても、あまりの事態に言われたことに相槌を打つのがやっとだ。貞 氏に仕えるのだと思って今まできたのだ。その必要がない、などという事態など想像した ことすら無かった。

「…殿…しかし……わたくしは殿におつかえするために…」

尻すぼみに掻き消えた声は、力無く床に散らばった。途方に暮れて俯き、遣る瀬なさに視 線が踊る。

背を伝う冷たさは何か違う類のもので、分かり易い焦燥に唇を噛んだ。



父は病で床に伏せたのではなく、ある日唐突に倒れた。眠る様にそのまま不帰途へついた 父には遺言らしきものは何一つ残して貰えなかった。なのに父の遺したものは余りに大き く、それがまたも唐突に失われようとしている。 戸惑いより憤りに近いものが身を灼いた。

自分でも理解できぬ苛立ちと混乱の綯い交ざった視線を、だが貞氏はただ静かに受け薙い だ。


「……もし、だが」
「はい?」

呟く声にまたも不躾に見上げてしまい慌てて顔を逸らす。貞氏は少し考える素振りをして からゆるりと言葉を継いだ。

「…もし、そなたがいいなら私ではなく息子に仕えてやってほしい」
「…御子息…?」

貞氏はまだ家督を譲ってはいない。小さく首を傾げれば、貞氏は曖昧な笑みを浮かべた。

「息子は…まだ八つだ」
「…、」

些か驚いて目を見張る。

「息子は八つ、当然未だ官位すら持たぬが、それでもあれがいつか足利を継ぐだろう。… 少なくとも私には無い先、がある」

たった八つの足利の跡取り。しかし自分とて未だ元服すらしておらぬ若輩者だ。抗う理由 は何一つ、ない。

「……、殿のおことばなら、わたくしはぜひ御子息におつかえさしあげたく存じます」
「…そうしてくれるか」

深々と身を折って頭を下げれば、貞氏はやはり少し困ったような顔で笑った。

「…ありがたく思うぞ師直。…私はあれについていてやることは出来ぬ。おぬしには荷だ とは思うが私の代わりに面倒を見てやってくれ」
「……はい」

貞氏の言に、従わない理由など何一つない。父は貞氏に仕え、また自分もそうたれと望ん でいた。自分がすることは何一つ変わりはない。おつかえする相手、そのために在るのだ と。父は幾度も言ったではないか。


貞氏は控えていた近侍に軽く頷き掛けるようにして合図を送る。心得たようにして下がっ ていく姿を見送りながら、静かに腰を上げた。
思いの外しっかりとした立ち姿は、自然威厳を漂わす。一二歩踏み出して、縁側を眺めや るように顔を横向けた。


「……師直」
「は、」
「私ではなく息子に仕えて欲しい。…其れを忘れないでくれ。…あれは…息子は些か…」

先を躊躇う口調は、子を語る苦笑にしては堅すぎるもので思わず眉根を寄せる。 名家の子息ならば多少なりと矜持が高いのは当然であったし、そんな事は今更際立って言 うべきことでもない。ただ貞氏のこの穏やかなる気質の親の前で、子がそうした性格なの だとしたら少しばかり意外ではあるが。


「勿論でございます殿。私は御子息の執事を務めさせて頂く身ですから」

言い切り、見やった刹那思わずどきりとする。貞氏はどこか凍りついた笑顔を貼り付けた まま、静かにこちらを見ていた。何か失態を犯しただろうかと焦って思考を回す。






今日は雲一つ無い晴れ空であった。障子の白を輝かせ差し込む光は散漫に広がり、夏の盛 りを過ぎた其れは突き刺す様な強さではなくあくまでも透かす美しさで室を蹂躙した。

貞氏の瞳が淡い光にあてられ薄い色合いで輝いた。茶のかかった其の双牟は刺すというよ りは眺めるようであるのに、茫洋とするどころかどこまでも澄んでいた。


「…師直」
「殿」

平淡なその調子で貞氏が名を呼んだ其の時、廊から先程下がった近習が入ってきて膝をつ いた。

「お連れ致しました」



思えばこの時、貞氏の言を捉えきれなかったことが全ての始まりだった。
高家に生まれ、そして高家のものとして死にゆく自分の、全て。



廊から迷い無い足取りで室へ入ってくる童、あからさまに高級な衣を纏うその姿。



「高氏参りました、父上」



静かに上げられた視線が、此方を向いたのが何故だか酷くまざまざと目に映り。






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