叩き折られんばかりの重さで弾かれて、高氏の手から木刀がふっとんだ。
薙いだそのまま頭上でくるっと回った切っ先は、吸い寄せるられるかのように高氏の喉の前で止まる。
「止めっ!」
師直が思わず上げた制止の声に、重能は腕の力を抜いた。 地に向けられた切っ先が、一度軽く振られる。まるで本物の刃を滴る鮮血を振るい落とすかのような動きと、男の無感情な瞳に、師直は眉を顰めた。
自分と九つも歳の違うこの青年は、つい数日前から、高氏付きの臣として傍につくようになった。
二十歳になった途端、従兄でもある高氏のもとに奉公に出されたのだというその経緯自体は自然であった。高氏の伯父であるかの上杉憲房の三男坊であるという彼と自分は、九つも歳が離れていた。
重能はいつもはきはきとしていて、屈託がないながらも俊敏に立ち回った。それは頭の良さというより、何か勘の鋭さのようなものに裏づけされているようで、師直には理解しかねることが既に多々あった。
「ちゃんと本気でやってくれませんでしたね?」
手合わせを終える合図である礼をした後、耳元でそう囁かれた時になって、高氏はやっと我に返ったような気さえした。見上げる先の長身の男は、本物の牙のような八重歯を見せて無邪気に笑っていた。
「・・重能」
「はい?」
『達者な身体と剣の腕だけが取り柄の不束者ですが・・・。まあ、稽古にでも使ってやってください』
伯父憲房はそう言って微笑み、傍らの息子に頭を下げさせた。
「お前」
「はい」
まずは様子を見よう、そんな気持ちが何処かにあったのは確かだ。
しかし、高氏が打ち倒されることは非常に稀であった。今まで武芸の修練だけは欠かしたことがなかったし、また高氏自身にも才があった。
それを、一種の出会い頭とはいえ、そして、高氏自身にもどこかまだ遠慮があったままだとはいえ、あっさりと打ち負かしてみせたこの従弟の腕を、認めざるを得ない。
技量、力、そして反応の良さ。
どれも素晴らしいものだったが、高氏が感心したのはその躊躇いの無さだった。
迷いのない剣筋は鋭く、揺るぎがない。それはきっと彼の内面からくる強さのような気がした。
周りで見ていた者には、重能のその淡々とした気配が、一種の恐怖感として目の奥に焼きついてしまう類のものだったのだが。
「強いな。驚いた」
「有難うございます」
姿勢良く頭を下げた彼の身体には、なるほどしなやかで力強い筋が無駄なくついているようだった。 この長身の従弟を、高氏は目を細めて見上げた。
「でも、次は負けない。」
「はい、楽しみです」
この一回の手合わせで、高氏は重能に心を許したようであり、また、認めたようでもあった。
二人は水を使うべく、並んで井戸端へと歩いていった。
「彼は何なのでしょうか」
「・・・彼、とは?」
「上杉、重能殿です」
従弟の呟きに、師秋はきょとんとして顔を向けた。
高氏、そして直義とその主管を交えた談合の後、執事二人が残って、細かい詰めをしている場でのことである。重能はさすがに、今日の談にはまだ顔を出してはいなかった。
「まだ、お若いとか」
「ええ、まあ」
「残念ながら私は、ご挨拶にいらした時に少し言葉を交わしただけなのですが」
そう言って困ったように眉を下げた師秋に、師直は弱弱しく頷き返す。
「何かありましたか?」
何かあったか、と尋ねられると、師直は言葉につまった。別に何も無いと言えば無い。
「いえ、しかし、あの憲房殿が・・・何故彼を高氏さまのおそばにつけたのかと、思いまして」
「なるほど」
「もちろん、名代ということなのでしょうが」
憲房が何の考えも成しに動くはずもなく、そして意図はある意味明らかであった。重能がいるだけで、高氏の傍にいる上杉という存在が顕示されるのは間違いないからである。
「でしょうね。しかし、なかなかの好青年ではないですか」
「・・・まあ、」
そういった師秋の人の良い微笑は、師直を宥めるようでもあった。
「彼がどういう人物なのか、いまいちよくわからない。そして、たとえこのまま時間が経っても、わかることがないような気がするのです」
師直は確かに不安そうであった。
だがそれは重能への懸念だけでなく、今までたった一人向き合うことができていた主が、別のものにとられてしまうことにも拠るのではないかと、師秋は密かに思った。
「ふふ、私なんて一回りも歳が違いますから、余計にわからないかもしれません」
「師秋。歳のせいではないと・・・」
「分かっていますよ。ただ、師直は昔から気苦労を自分で背負い込むことが多いですから。程々に」
優しい口調でそう言われて、師直はこくりと頷いた。この従兄に宥められることが嫌いではなかったが、結局、周りのものに振り回されてばかりいるという自己嫌悪は消えない。
師直は深い溜息をついた。
師秋はそれを、黙って聞いていた。
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